あわら温泉のお祭りおススメ5選

あわら温泉周辺では年間を通していろいろなお祭りがあります。
お祭りのタイミングに合わせて行くのも良いのでは!?

 

 

雄島まつり


日時:4月20日
一年の無事と大漁を願う祭です。
大湊神社の祭礼の一つで、海に出た父や夫、兄弟の無事を祈って、みこしを神社に奉納したのが始まり。

 

祭りは、朝から大湊神社で雅楽演奏と神事を行い、ハッピ姿の人達の獅子舞が舞われます。その後、神輿が出発、
神輿は、子供神輿、乙女神輿、船神輿の3つがあり、三国町安島地区を太鼓の音と共に練り歩きます。船神輿は安島漁港を泳いで横断し、夜に大湊神社に戻りクライマックスを迎えます。漁村独特の活気あるお祭です。

 

大湊神社は雄島にあり、雄島は
東尋坊の北西にある安島(あんとう)地区の沖、約150メートルほどに浮かぶ
原生林に覆われ、神秘さを漂わせる周囲約2キロメートルほどの無人島です。
この島は神代の昔から神の島と崇められ、昭和のはじめにかけられた赤い橋を渡って
険しい階段を上り左折したところに県の指定にもなっている拝殿と本殿を構える
大湊神社(おおみなとじんじゃ)があります。

 

雄島まつりの歴史


式内大湊神社は、雄島に鎮座されたのが白雉年間と伝えられており、今から約1350年前。三国町で最も古い頃の出来ごとであったと言われています。
大湊神社は、別名「雄島様」と呼ばれているのは、安島岬にある神島で、越前における最も突出した地の利に位置し、姿の美しい雄島を神聖な神島として、この周辺の人々から崇められ、「御島」とも呼ばれ、信仰されてたからです。この「御島」・「お島」が、後世「雄島」と呼ばれるようになったのです。
雄島は、この周辺の海で生活する人々の信仰の拠点として古くは6・7世紀頃にすでに存在しました。そして航海安全と豊漁の神様として崇められてきたのです。
4月20日前後になると以前は、イワシなどを追ってクジラが雄島近海に来て、豊漁を漁民に知らせてくれたので、その頃に大湊神社の春季例大祭を斎行してきました。春から夏、秋、冬の日本海の海産物に恵まれるようにと祈願する海の祭礼で、同時に海での事故もなく、健康であるようにと祈願されます。
そこで4月20日は、氏子の方々が、雄島に鎮座する大湊神社の本社を拝み、陸ノ宮(あげの宮)で祭礼を行い、神輿を担ぎ、神賑いをして、雄島の海の神様を一日中楽しませてサービスするのです。この祭りのことを「雄島祭」と呼んで毎年、大湊神社の最大の行事として奉仕してきたのです。大湊神社は、この周辺の母なる海の神様があたえて下さる海の幸に深く感謝し、同時に航海安全と豊漁を併せて祈願する祭礼が、雄島祭です。

 

 

三国祭


日時:5月19日~21日
北陸三大祭の一つ。
5月の19日(例大祭)、20日(山車神輿巡行・中日祭)、21日(後日祭)の3日間に渡って行なわれる。

 

三国神社の祭礼の一つとして、毎年5月19~21日に行われる三国祭は、最大の呼びものが、20日に行う巨大な武者人形山車の行列です。
各町内から自慢の山車が参加して、町内を笛、太鼓、三味線のおはやしとともに練り歩きます。ただ、高さが5.5mにも及ぶ巨大な武者人形山車の行列は圧巻です。
かなりの混雑が予想されますので注意。

 

三国祭の歴史
三国神社は『延喜式』に記された式内社以来の由緒を持っているそうですが、戦乱などによって中世にはかなり衰微していたようです。江戸時代には山王宮(通称おさんのさん)とよばれていましたが現在の社殿は天保の大ききんのとき難民救済の事業として、三国湊の豪商内田惣右衛門らが境内整備とともに改築を行い、天保10年(1839)に完成したものです。

 

 三国祭りについての古い記録は、江戸時代に何度も大火が起きているので、あまり残っていません。このため当初はどんな形の祭りが行われたか明らかではありませんが、古くからの町内の一つ、大門町の記録によりますと、享保2年(1717)に書き上げた大門町所有の品々の中に「笠ほこ1本」が町内の浄願寺に預けてあると記されていますので、このような笠ほこが祭りの主役だったのでしょう。これより数十年後の宝暦3年(1753)の祭りはややくわしくわかります。この年は10の「山」が奉納されましたがこのときは一つもしくは二つの町内が共同で笠ほこやにない屋台、手ほこなどを出しました。各町内も飾りに腕を競ったようで、この中には今日までほぼ一貫して永代桜の山車を奉納し、現在は合併してその名も桜町と呼ばれている今町、木場町の合同の「糸桜」(しだれ桜)のにない屋台も登場しています。

 

 その後、18世紀の終わりごろには人形を飾る事が定着したようで、それとともに笠ほこやにない屋台も、人々の細工の見事さとともにその大きさを求めるようになったためますます巨大化し、車屋台に大きな人形がのるという今日の形になっていったようです。

 

 これまで最も背の高かった山車は、明治7年に久宝町から出されたもので、筒井浄妙と一瀬法師が宇治橋で勇戦している姿を表したものでした。高さは12メートルほどもあり、神社前の広小路に作られた総小屋に入りきらないため、他の町内からあまり大きすぎる山車は作らないようにとの苦情が出されるほどでした。

 

 しかし、その後も7メートルから10メートルほどの山車は明治の中ごろまで作られ、遠くからも、家々の屋根から首や肩を出したところがながめられ、三国名物の名をほしいままにしたのでした。

 

 明治42年の重大事件の一つとして元新町の記録は「数百年来継続してきた三国神社の祭礼で、山車人形を町内へ曳き回す事が、電話線の架設のために出来なくなり飾り山車になった。」と記しました。前年の明治41年(1908)11月、三国にも電話線が架設され、その後電灯線も張り巡らされました。電線が邪魔となって山車の巡航は困難となり、空き地に飾っておくだけの時期が続きました。このままでは三国名物の名をけがし、祭りも衰微してしまうとの意見が町中から出され、大正4年(1915)の11月に行われた大正天皇御大典(即位式)祝賀余興の曵物を期に、人形を小さくして再び山車を町中へ曵き出そうということになりました。山車の上にははっぴ姿の若者が上がり、竹の棒の先に板を横に打ちつけた道具で電線を持ち上げて、山車の人形を通すという光景は、このときから始まったとのことです。

 

 

あわら温泉春まつり


日時:4月29日
温泉の守り神「薬師神社」の祭礼。
芸妓の囃子に合わせて「桜山車」や「人形山車」が温泉街を練り歩く春の祭典。
毎年、人形山車・花山車・太鼓山車・子どもみこしなどで賑わいます。
12時ごろより芦原温泉芸妓の踊り奉納から始まり、22時ごろまで御輿を先頭に、『人形山車』『桜山車』『太鼓山車』が温泉街を練り歩きます。

 

露天商も多くたち並び,祭りの賑わいを一層華やかなものに。

 

 

あわら温泉春まつりの歴史
もともとは薬師如来を祀る王子堂がありましたが、神社合祀令により、薬師神社と改称して近くの春日神社に移され、温泉発掘後に守護尊として新たに薬師如来を勧請したお堂。祭神は少名彦尊。

 

 

花菖蒲まつり


日時:6月中旬~下旬
場所:北潟湖畔花菖蒲園

 

 

300種20万株の花が咲き乱れ、訪れる人々の心を和ませます。菖蒲は江戸・伊勢・肥後・外国系などさまざま。
名画を思わせる雰囲気は全国屈指のものと評判です。

 

期間中、郷土芸能、観光写真コンテスト、舞妓とモデル撮影会、カラオケ大会など、多彩なイベントが催されます。

 

芦原特産のメロン,スイカ、天然ウナギなどの即売も人気を集めます。
花菖蒲の株も購入することができます。
土曜、日曜は北潟湖畔-花菖蒲園を往復する渡し船(伝馬船)が運行されます。

 

周辺には公園も整備されていてかわいい足こぎボートやレンタサイクルもあります。
お子様連れでも十分楽しめるでしょう。
近くには芝政ワールドも。

 

入場無料・駐車場無料
アクセス: JR北陸本線「芦原温泉駅」からタクシー約15分、またはえちぜん鉄道「あわら湯のまち駅」~「松ヶ崎行」の京福バス「北潟東」下車~徒歩5分
北陸自動車道金津ICから車で約15分
問い合わせ先: あわら市観光商工課 0776-73-8029

 

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